挑むと逃げる

先日、母校の後輩たちの試合を観に行ってきました。
この部旗、もう35年ほど代々使われ続けています。

この旗を見ると、「挑戦」の「挑」という文字を、毎日眺めていた学生時代を思い出します。

漢字は、偏(へん)や旁(つくり)が変わるだけで、まったく異なる意味になります。

「兆」は「きざし」と読みますが、
この“兆し”をどう捉えるかが、大きな判断の分かれ目になるように感じます。

「挑む」か「逃げる」か――。

たとえば、あまり良い兆しがないときには「逃げる」という判断も必要でしょう。
一方で、手を打ち、自ら動くことで、良い兆しを自分で掴み取る。
それが「挑む」ということなのかもしれません。

見て見ぬふりをして逃げたり、
物事を直視したうえで逃げたり、
楽な方へ、楽な方へと流されて逃げたり、
自分の好きなことだけをするために逃げたり――。

これらは、危険を察知して避けるという「逃げ」とは、大きく意味が異なります。

今の世の中は、「楽な方へ、楽な方へ」という風潮が強いように思います。
本音が言いづらい時代ですが、わかっている人には、ちゃんと伝わっているはずです。

「挑む」選択は、簡単ではありません。
でも、振り返ったときに、成長した自分がいる。
そう信じて――。

今日も、よろしくお願いします。