戦後?の祖父の写真

60周年を機に、昔の写真を探しているのですが、なかなか見つかりません。

そんな中、1枚の古い写真が見つかりました。

これは、私の祖父・茨木治三郎の写真です。

戦争へ出征していたため、この写真はおそらく戦後間もない頃に撮影されたものと思われます。
場所は現在の会社の場所ではなく、祖父の家の前。
手を添えているものは、燐寸箱(マッチ箱)の経木箱を作るための材料ではないかと思います。

戦前・戦後、燐寸箱は生活必需品として各家庭に欠かせないものでした。
播磨地方では、燐寸産業が地場産業として大きく栄えていました。
アサヒ印刷の前身となる会社では、当時50人ほどの方々が働いてくださっていました。
その燐寸箱に広告を印刷する「広告マッチ」の印刷こそが、今から60年前のアサヒ印刷の原点です。

祖父は商才に長けた人で、朝から晩まで、土日の休みもなく働き続けていました。
小学生だった私は、そんな祖父の傍らで燐寸箱の製造を手伝っていました。

会話の中では、戦争へ出征したことや、捕虜としてシベリアにいた時の話、そして仕事の話まで、いろいろなことを聞かせてもらいました。

食べるものに困った話。
極寒の中で過ごした話。
お金の話。

当時はそれらを何気なく聞いていましたが、今振り返ると、もっとたくさんの話を聞いておくべきだったと思います。

お金の話で思い出すことがあります。

小学生ながら、私が手伝った分に対して、祖父はきちんと対価を渡してくれていました。
時給ではなく、成果に対する報酬です。
「ええん??」と聞くと、祖父は、
「商売とはそういうものや。働いた分だけ稼げばいい。」
と言っていました。

今思えば、祖父なりの商売に対する考え方を教えてくれていたのだと思います。
笑い話ですが、このことが後に学校で問題になったこともあります。
「今日は仕事があるから遊ばれへん」と友達に話したことがきっかけでした。
「茨木君が働いている。小学生が働くのは問題です」と先生に伝えた人がいたのです。
家業の手伝いなら問題なかったのですが、「働いている」ということがアウトだったようです(笑)。

昨今、さまざまな展示や資料を見る機会が増え、戦争を経験された方々の思いや苦労に触れることがあります。
戦争から帰還した方々は、生きていることの幸せ、そして生かされたことへの苦しみなど、命の尊さを私たちに伝えてくれます。

仕事ができることは決して当たり前ではなく、どれほど幸せなことなのか。
そのことを改めて感じます。

一方で、時代の変化とともに、働くことへの価値観も少しずつ変わってきたように感じます。
「若い世代」は素晴らしい方が多いということも、日々感じています。

我々50歳前後の世代が、若い世代から見て夢を持てるような大人であり、会社であるために、もっと努力しなければならないのかもしれません。

自分より下の若い世代は、主体性を持ち、周囲とコミュニケーションを取りながら行動できる方が多くいます。
目的や意味を理解すると、積極的に動いてくれる。

働くということの本質を理解している人は、世代に関係なく理解しているのだと思います。

何が言いたいかというと、「分かっている人だけが人生“徳”をする」、そんな社会になっているのではないか、ということです。
(あくまで個人的な考えですが)

また、若い方はパソコンや最近ではAIへの対応も早く、私自身多くのことを教えてもらっています。


最近では、外部で話をしてほしいと言われる機会も増え、弊社についてお話しすると「羨ましい」と言っていただくことがあります。
振り返れば、弊社も10年前までは、ごく普通の家業として、目の前の仕事に淡々と取り組むだけの会社でした。

10人前後の会社の多くは、それまでの風習や考え方にとらわれ、変化することがとても大変です。
人の出入りも少なく、若い人材の採用も簡単ではありません。

話がいろいろと脱線しましたが、私が会社として目指している夢があります。

それは、約10年前に視察で訪れた会津若松で見たICTビルのような、若い世代がイキイキと働ける環境をつくることです。
こんな片田舎の場所で、若い方々が主体性を持ち、イキイキと働ける会社にすること。
それが私の目標です。


温故知新。
古きを知り、そこから新しいものへ挑戦する。


祖父から受け継いだ教えを胸に、これからも歩み続けたいと思います。